マスコミの影響

この業界は小さい頃から噂好きだった輩の集まる職です。公平な第三者の視点で知る権利を守る、とかよく言いますが、結局のところは知るためには何してもいいんだよって考えの下に動きます。大衆の知る権利を代表してやってるんだ、という間違った自尊心があるのでその傾向は治りません。情報発信者は自分たちがすべて握っており、他からは入らないという認識から、自分たちに不利なものは隠匿しようとすることは日常茶飯事です。こう書くと、誰もが情報発信者になりうる巷の世間話レベルよりも実はいやらしかったりするわけです。
視聴率って物もあるけれど、これはその放送がどれだけ世間一般の気を引くことが出来たかという指標な訳です。ニュースなんてのは結局は噂話の延長で、どのニュース番組が視聴率が高いかと比べることになれば、結局はその事件という噂をいかに面白おかしく伝えたかということになるわけです。公平にただ事実を客観的に伝えることが目的であるはずなのに、それについていちいちコメントする番組は、噂に尾ひれをつける作業をしているだけなんじゃないのかなと。新聞であればここに相当する部分は社説やらなにやら他の形を持って、本件の記事とは別に書くことで偏った見方を少なくするように出来ているわけです。しかしテレビではそうは行かない。そんな事実なのか放送局が勝手に追加した噂話なのかが曖昧になる手段で放送しているために、情報は偏った見方をするように仕向けられる上、放送業界の人間に勘違いした優越感を持ってる輩が現れる。世間一般の意見を代弁してるんだ!みたいな態度のアナウンサーは何を勘違いしているのでしょう。ある意味哀れです。結局は自分たちの周辺しか見えていない状態で様々な大量の情報に揉まれているうち、訳が分からなくなっているのです。
そんな時代の流れからか、マスコミ不信の人は少なからず居るのが現実です。今ではインターネットやらなにやらで巷の人間からでも容易に情報発信をすることが可能になった、とそのような論を持ってくる人は多くいます。しかしそれは単にマスコミが信用できないという対抗心からのもので、情報をあるがままに共有させる方法を考えているわけではなく、結局目指すところは小規模なマスコミと変わらなかったりと、無意味なことも多いのではないでしょうか。
情報というのは結局人間の本能に刻まれた知りたいという探究心を満足させるためのものであり、所詮噂話をするための素になる程度の消費財なのでしょう。一単位時間に取得できる情報量が増大するのと共に、情報伝送手段も急速に発達を遂げています。今後は今までとは違った、新しいありのままの情報を伝える手段を考える必要があるのでしょう。間違った情報伝達のために風評被害に会った人がどれだけいるのかを想像すれば、おのずと必要性がわかるはずです。